四季彩館ブログ

きくちいまがつたえたい 買ってはいけない着物と着物まわり

2014年02月26日 » ブログ

そんな中、先日、きくちいまさんの著書「きくちいまがつたえたい! 買ってはいけない着物と着物まわり」という本を読みました。その中の目次には、「作り手暴走の残念なきもの」、「店員がきものを着ていないお店はやる気がないとしか思えない」、「名古屋帯を否定するお店にはいかない」などの興味深いタイトルもありました。その一行には、下記の様な文章が書かれていました。お付き合いください。

木綿のきものを取り扱うお店が少ないと思いませんか?それはハッキリ言って、木綿のきものは利幅が少ないからです。本当にきものを好きなお店じゃないと、取り扱っていません。
これは、帯にもいえることです。
~中略~
いいですか、無料着付け教室と某高級帯メーカーは、がっつりスクラムを組んでいたりします。
名古屋帯よりも単価が高いしゃれ袋帯を売りたいのです。生徒1人当たり28万円以上売らなくてはならない、という暗黙のルールがあるという教室もあります。こうなると単価の安い名古屋帯では追いつかない。結果、ゴージャスな袋帯を売りつけられるわけです。「1人当たり」と書きました。つまり頑として買わない生徒さんの分を、誰かが袋帯を何本も買っているから成り立っているというわけです。 ~後略~

内容については、「買ってはいけない着物」についてはあまり触れてなかったのが残念ですが、大まかな価値観は一緒です。だから、「買ってはいけない着物」は。(^o^)
「きもの屋が、きものを着る努力をしないで、売る努力だけを一所懸命やる。」

一部抜粋した内容です。

お店が名古屋帯や木綿の着物等々全部の種類のものをおいておくとよいのですが、問屋さんとの取引上難しい場合もあります。木綿の着物を得意とする。お店も近年ふえてきていろんな種類の着物をおいています。お客様も木綿の着物ならこのお店正絹の着物ならこのお店と分けられるのも上手な買い物の一つでしょう。

また、着物の良さを伝えるには自分が着物を着る努力をするのが一番ですし、おすすめするメーカーさんの着物は自分も着てみるのが本当だと思います。私は、着物好きが高じて着物屋さんを始めたわけです。みんなに安価でよいものを思いでした。ですが実際初めて見ると理想と現実は違い厳しいものでした。

良いものですよだから価格もこのくらいするんですよと伝えるには、自分が着て産地にでむいて作成の現場をみないとお客様には良さを伝える事は出来ないと最近思いました。

勉強になる本です。皆様も読んでみるとよいと思います。

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大人の浴衣竺仙

2014年02月19日 » ブログ

粋を感じさせる店構え究極の浴衣(竺仙)

竺仙の創業は天保年間(1842年)。初代からの信条を頑なに守り、その技術、カラーなどの独特な持味を今に伝えています。現在では有名百貨店、高級呉服専門店にも多く出展していますが、その技術の確かさとセンスは「浴衣なら竺仙」と言われる程。

 

究極の浴衣(竺仙)店頭にある明治時代の東京名物のポスター。中央上に竺仙の名前がある

江戸時代、竺仙は歌舞伎役者という当時のファッションリーダーによって人々の中に浸透。江戸土産にまでなり、その名前が全国に広がって行きました。

お店の中にはかなり豊富な種類がそろっていますが、どれを取っても「竺仙の浴衣」というエッセンスがちゃんと込められていて、目移りしそうな程です。ここの浴衣は何といってもシンプルさが信条。「粋」という言葉に表現される垢抜けした色っぽさは、まさに引きの美学。これぞ江戸の粋!

江戸の美意識ここにあり

ひとくちに浴衣と言ってもその種類は様々です。生地の種類、染色の種類それぞれに特徴があり、その組み合わせによって独特な色、風合いを出しています。野口汎氏作 小紋中形の浴衣
こういった名のある職人の作品には商標登録の横に、ネームやマークが入っています。7万350円+仕立て代

左上:松煙染め小紋 6万900円/右上:奥州小紋 5万9850円/左下:紅梅小紋 5万9850円//右下:コーマ白地浴衣 2万3100円 ※すべて仕立て代は別途左上:松煙染め小紋 6万900円/右上:奥州小紋 5万9850円/左下:紅梅小紋 5万9850円/右下:コーマ白地浴衣 2万3100円 ※すべて仕立て代は別途

松煙染め小紋
樹脂の多い松の根を燻した松煙を膠で練り、豆汁に溶いて染めたもの。グレーの色合いが独特です。
奥州小紋
経(たて)糸で絣(かすり)を織りだした手織紬のような独特の風合いの綿生地に引き染めで柄付けをしたもの。生地自体の織柄が立体感を出しています。
紅梅小紋
格子状に太い糸を折り込んだ綿生地に引き染めで柄付けをしたもの。生地にシャリ感があります。
コーマ白地浴衣 
一番オーソドックスなもの。価格も一番手頃で気軽に着られます。
究極の浴衣(竺仙)

男性の浴衣
男物も種類が豊富です。着るだけでイイ男になれそうな浴衣は2万4150~6万8250円+仕立て代。本物を身に付ける感覚をぜひ味わって欲しい。歌舞伎役者にちなんだ柄にも注目です。

本物を作り続ける意味

竺仙製の浴衣には、すべて生地の両端にブルーのイヤーマークがついています。技術とセンスに自信があるからこその証です竺仙製の浴衣には、すべて生地の両端にブルーのイヤーマークがついています。技術とセンスに自信があるからこその証です

今や浴衣といっても、ピンからキリまで。その気になれば本当に安い値段で手に入ります。そんな中であえて本物を作り続けることは、今の時代かえって難しいことでもあります。

「消費者の求めるモノは時代の流れと共に変化していきます。昔から良いものが良いということではなく、今の時代に着て下さる方それぞれの使い勝手が良いということも大切な要素。すなわちモノの価値と価格のバランスが適正であることが大切なのです。しかしそこには作り手の思いと消費者の求めるものとのギャップが生まれることになる。それをどう埋めていくか、どこにその着地点を見つけていくのかということがこれからの課題だと思っています。ですから皆さんには手作りのメリットとデメリットを分かって知って欲しい。そのうえで、自分に合う浴衣とはどういうものかということを決めていただければいいのでは」

時代の流れと共に必要に変化してその時代に生きる人達に寄り添ってきたものだけが伝統として生き残る。言わば伝統とは革新の繰り返しでもあります。伝統の技に溺れることなく拘りだけに終わらない、常に着る人の気持ちに寄り添った作品を提供することこそが、竺仙の浴衣がファンの心を掴んで離さない理由とも言えるのです

浴衣の種類 生地

 特岡・コーマ・絹 ・縮・紬・綿芭蕉・紅梅・麻・絹紅梅

浴衣の種類 染め 

 先染(糸染)・注染・カゴ染・ローケツ・小紋染(引き染、しごき染)・長板本染

浴衣ができるまで

明治20年代に始められた染料を注ぎ込む、手拭、ゆかたの独特な染色法です。
藍の注染ゆかたの絵際の美しさ。これぞゆかたと言われる所です。木枠にはいった型紙で防染糊を置きます。>反物を型紙の大きさで折り乍ら、糊置きを繰り返します。糊置きの終わった反物を染色台の上に置きじょうろで染料を注ぎ乍ら反物の下まで圧搾空気により浸透させている。以上が当時として生産するゆかたを生産する画期的な方法と言われ、
今でも夏物衣料として洗濯に耐えられる堅牢な染色法です。

 異なる柄がエッチングされた回転する2個のローラーの間に生地を通し、
型付けし浸染する事で表と裏に別々の柄が染め出されます。
大正時代より伝わるリバーシブルの染色法です。
図解のような方法で生地を二本のローラー型の間を通し
防染糊を型の間から生地の上に付けます。 

糊付けされた生地を長さ20mくらいの乾燥機の中に通し乾燥させ
染料の溶かしてあるバックの中を通して染色します今や当社の染工場が唯一の籠染工場となりました。但しゆかたは
本来裏表同柄が基本ですが、籠染は裏表別々の柄を付けられる為、
最近では裏変わりを求めるお客様が増えています。

もともと小紋染を行ったり、無地染を行う際に使う刷毛染めのことですが、
竺仙では紅小紋、奥州小紋の染色方法として使用しております。
小紋染で使われるしごき染に比べ発色状態が美しい為、
手のかかる引き染で仕上げております

長板(約7m)に貼った生地の上に型紙を
置き順次、糊置きを行う。

 防染糊を置いた生地の上から引き染めを施す。  

ゆかたというより夏の外出着というべき品です。
又、天然染料ではなく化学料を使用している為、冷水で丸洗いできます。
従ってゆかたのように両面染めはしてございません。

江戸時代から始まり、明治時代に大変流行した江戸ゆかたの主流です。柄には絵師の描いた大柄にものと、昔の小型紙を利用した小柄のものがあり、江戸時代から伝わる、両面型付け浸染本藍染のおしゃれ着です。 

長板に貼った生地の上から型置きを行う 12mの生地に型置きを●●生地を裏返し、裏から表の柄に会わせるように糊置きを再度行う。この時表と裏の柄がぴったり合わないと染めた後には柄がぼやけてしまう。 
糊置きを両面施した生地を藍瓶の中に3回から5回位浸したら染めあげます。 

藍染めは酸化により染色がすすみます。
即に染上げられたばかりの一年ものは完璧に芯まで染まった状態ではありません。
出来れば1~2年空気に触れた品をお召しいただけると幸いです。

「長板中形(ながいたちゅうがた)」について
長板中形は、江戸時代の浴衣制作技法でございます。
最近浴衣の照会の折、「長板中形」と書かれているお品を拝見します。しかし多くは残念ながら実際の長板中形とは異なります。
竺仙WEBの中でも「浴衣とは」で長板中形の説明をさせていただいておりますが、長板中形とは約7mの縦の板に生地を張り中位の型紙を用いて、表と裏別々に糊置きを行い表裏の両面柄がぴったり合ったことを確認後に藍甕(あいがめ)で浸染染め(しんせんぞめ)を行った中形(浴衣)を指す言葉です。
くれぐれもお間違いにならぬようご注意申し上げます。
竺仙の浴衣も長板中形と申せるものは、ほんの一部でございます竺仙について

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茶道の1年行事

2014年02月18日 » ブログ

 

表千家・裏千家・江戸千家などなど、お茶の世界も色々な流派がありますが、お茶会や、 1年を通してのお茶事などの行事は、ほとんど同じです。

1月・・・初釜
 新春を迎えて元旦には大福茶が点てられます。これは古くから病を除き、福をもたらすものとして行われてきました。家元では毎年元旦の早暁、若水をくんで、家元自らのお点前で大福茶を祝う慣例です。

 また初釜は稽古始と言われるように、社中一同が集まって新春を祝います。形式は正式な茶事よりも濃茶を中心として薄茶、また雑煮・酒肴を饗します。

2月・・・暁の茶事
 夜籠(よごめ)、夜込ともいい、昔は残灯の茶、残月の茶などとも言います。厳冬の時季(二月頃)夜半から夜が明けていく風情を楽しむ茶事です。客を炉の炭火でもてなすと共に、夜明けを楽しむためのお茶時です。暁の茶事では初炭点前のあと、釜をいったん水屋に持ち帰り、湯を半分ほどあけ、そこへ井華水(せいかすい)をあふれるほど満たして柄杓で2~3杓かき出します。そしてこの釜を再び炉に据える時の、 濡れ釜の風情も暁の茶事ならではの楽しみがあります。夜咄に準じて行われ、灯火に灯心やろうそくの火が使われる。 特殊な茶事だけに夜咄に比べて催されることが少ないお茶事です。

 午前4時頃から席入りして、一刻半(3時間)の間に行われる。
 
炉・・・前茶→初炭→懐石→中立ち→濃茶→続き薄茶

3月・・・利休忌
 利休忌とは茶道を大成した千利休が天正19年(1591)2月28日に自刃されたのを偲び、お茶をお供えする催しです。仏茶(くちゃ)といって、茶せんも使わずお湯に抹茶を入れたものを床の間にいらっしゃる利休さんにお供えするものです。

その隣には格の高い花器(今日は青磁)に利休さんの大好きだった菜の花を生けてお供えします。利休さんが切腹自害した際、周りに大好きだった菜の花を置いたそうです。

4月・・・野点

5月・・・初風炉
 11月から4月までの
に代わり、 5月から10月は風炉(ふろ)になります。 5月になって初めて開かれる茶会を「初風炉」といい、初夏の趣を演出します。

6月・・・梅雨の茶

7月・・・朝茶
 
朝会とも言います。早朝の涼しい時間に行われる夏季の茶事。 窓や障子も簾に変え、打ち水をたっぷりとして涼しさを演出することが最高のもてなしにです。水次で釜に水をつぐ音を聞き、さらに濡れ茶巾で釜膚を拭いた後、次第に乾いていく風情を味わうのも朝茶事ならではです。

 午前6時頃席入りして、一刻半(3時間)の間に行われる。
 風炉・・・初炭→懐石→中立ち→濃茶→続き薄茶

8月・・・八朔
 徳川家康が初めて江戸城に入った日から、以降大名や家来が登城し祝詞を述べたことに由来し、茶道の世界でも弟子たちが家元に挨拶に行く暑中見舞の日となっています。

9月・・・天然忌七事式

10月・・・名残の茶事
 5月から使っていた風炉もこの月限りで炉に変わります。風炉を惜しむ茶事をこの月に開きます。

11月・・・口切の茶事 炉開き
  茶壷の口を切って、中の新茶を初めて戴くのが口切の茶です。茶はその年の5月に摘んだものをそのまま葉茶(碾茶)として茶壷に詰めて秋まで保存し、11月開炉の頃初めて茶壷の口を切って、葉茶を臼で挽いて点てます。 これは開炉と兼ねて行われる厳粛な茶事で、古来茶人はこの口切の茶を茶事の中で最も正式なものとして重んじてきました。 茶の正月として、道具なども正月用のものや、慶祝の意を持つ道具類が多く取り合わされています。

12月・・・夜咄
  夜会とも言います。初冬から早春にかけて夜長の時季に行われます。暖かくもてなすために、四畳半以下の小間がふさわしいとされています。午後5時頃から始められ、寒さのおりとて、客がそろうとまず薄茶一服点ててだし、以後は正午の茶事に準じて行われます。迎え付きの際、手燭の交換などがあり、夜咄ならでは見られない情景もあって、ひとしお風情の深い茶事です。古くは夜込めとも言われました。古来「茶事は夜咄にてあがり候」と言われるほど主客共に難しい茶事です。

 夕方の5時から6時頃に席入りし、一刻半(3時間)の間に行われます。

 炉・・・前茶→初炭→懐石→中立ち→濃茶→続き薄茶

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今日はバレンタインデー

2014年02月14日 » ブログ

今日は男性の方に愛をこめてチョコを差し上げる日です。
私は、お世話になった方に足袋ソックスを差し上げます。実用性もあり毎年喜んで頂いています。
昨年差し上げた方からは、履きやすくとてもよかったと言っていただきました。

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平成25年和裁士検定問題

2014年02月06日 » ブログ

今年私和裁士検定試験に三度目の挑戦を致します。

では、和裁士検定は、実技と筆記が受かってやっと合格通知がいただけます。私は、筆記は、すでに受かっていますので実技のみの試験となります。検定を受けるのに条件があります。和裁士として仕事を行い収入を得ているという条件です。

 では、今回の試験の内容を公開致しますね。今後和裁士検定試験に挑戦される皆様の参考になれば幸いです。

平成25年度 技能検定

 3級 和裁 【和服制作作業】

  実技試験問題

1試験時間

  標準時間 3時間

  打ち切り時間 3時間30分(3時間すぎてからは減点になります)

2注意事項

 (1)使用工具等は、「使用工具等一覧表」で指定したもの以外のものは、使用しないこと。

 (2)試験中は、工具などの貸し借りを使用を禁止する。

 (3)針に糸を通したものを持参してはならない。

 (4)作品をたたみあげた時点をもって、作業修了とするもので、作業を終了したものは、その旨実技検定委員に申し出ること。

 (5)標準時間を超えて作業を行った場合は、経過時間に応じて減点されること。

 (6)打ち切り時間になった旨をしらされた場合は、超過時間に応じて減点されること。

 (7)次の事項に該当した場合は、不合格又は、失格となること。ただし、下記以外も不合格又は失格となる場合があること。

   イ製品中に残針があった場合。

   ロ製品の一部に生地の表裏を間違えたもの

   ハ左右のそでが付け間違っているもの

 (8)作業時の服装は、作業に適したものであること。

 (9)裁縫用具の取り扱いに注意する。

 (10)試験中に試験問題以外の用紙にメモしたものや参考書等を参照することは禁止する。

 (11)試験中は、携帯電話などの使用は禁止する。

3仕様

 (1)表地は、自由とする。

 (2)裏地及び芯地は、自由とする。

 (3)見ごろ、たてえりつけと右そでを事前に縫い上げたもの(えり先布のつくものは、事前にえり先布をえり芯につけておく)を持参する。

 (4)試験場で行うものは、次のとおりとする。

    左袖を縫い、両そで付けと衿付から、仕上がりまで。

 (5)そでは、無双袖とし、えりは、べつえりつましたつけとする(上衿は、ひろえり、ばちえり友に可)

 (6)袖口及びそで下は、しつけをする。ただし、しつけの種類及び寸法は、自由とする。

 (7)受験番号票は、下図に示す位置に取れないように縫い付けること。

   ただし、縫い付ける時間は、試験時間外とする。

 

★試験内容は、大変難しいのですが、日ごろ真面目に取り組んでいる方には、さほど難しいことは、ないとは思います。年々受験者も減少しています。数日前、京都出張にて伺ってお勉強会後の懇親会で和裁学校の先生とご一緒にさせて頂きましたおりにお話をしましたが、京都は、今年は、国家試験がなく来年になったそうです。宮崎も受験者は減少し、少人数での受験さらに年に一回になっています。若い方は、腕試しに受験されるのもよいかと思います。

実技試験後数日後に学科試験があります。難関は実技試験かと思います。まだ、結果は、出ていませんが来年も挑戦になるかな~と思っています。

 

和裁用鏝(こて)03

これは、和裁用のこてです。とっても強い味方です。

 

 

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伊予一刀彫とは(ひな人形 五月人形)

2014年02月05日 » ブログ
 
伊予一刀彫「南雲」の歴史は、昭和30年初代南雲(譲)が、松山市魚町にて「伊予民芸
工房」を設け、木彫人形の制作に取り組んだ事が始まりです。初代は元々仏師としてその
生涯のほとんどを造仏活動に精進しました。
昭和41年春、松山高校デザイン科を卒業するとともに家業を継ぐ事となった息子(隆一)
は、新たなテーマ「日本の四季」を掲げ現在の二代目南雲が誕生しました。その後二十年
余りに渡り、今日に至る人形の企画・制作を独自の作風にて創作しております。平成元年、初代南雲72歳にて他界。同年株式会社南雲設立。
平成8年、私の息子信平(昭和47年生まれ)が三代目南雲となる、
平成16年、初代より数えて50年目の節目、伊予一刀彫「三番叟」が全国年賀状切手の
図案として採用されました。

 ◇伊予一刀彫は、初代より三代「家の技」として引継がれ
  工程の最初から彩色に至るまで、一つ一つに職人の技が
  手作り施された道後えひめの伝統工芸です。

◇数本のノミから彫り出されるその風合いと手触りに独特の
  淡い彩色を施した優しい雰囲気が持つ木の温かみが南雲
  木彫人形の特徴です。

平成16年には、えひめの伝統工芸として初めて、
全国年賀状の切手図案に伊予一刀彫「三番叟」
が選ばれ採用されました。
 
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着付けセミナー日時案内

2014年01月29日 » ブログ

 

これは全国きもの文化教育協会が毎年五月にセミナーが行われています。案内です。

毎年楽しい企画のセミナーですが。今年は、大久保信子先生の講演もあり楽しいセミナーになりそうです。

全国に教室があり、2級取得から教授までの各段階にわかれて技術を学んでいきます。

私も、着付けの勉強を始めて早10数年いまでも学び毎日です。

当着付け教室も本人の希望に応じて、免許取得からいろいろなカリュキュラムをくんでいます。

 

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明日は、和裁士試験

2014年01月27日 » ブログ

和裁士について

それは厚生労働省が定める国家試験に合格した技能士である事を認定する資格です。日本人の「心」のよりどころとして受け継がれてきた日本文化の代表ともいえる民族衣装「きもの」。このきものの美しさを作り出す和裁の技術は、これからの次代を担う若者に受け継いでいってもらわなければならない貴重な技術であり、そして日本人の手で縫い上げ、心のかよう暖かみのある製品づくりが、きものにはなくてはならない技術であり、使命です。

和裁士の数は減少傾向にあるのが現状ですので、プロの「和裁士」は職業としての希少価値を高めています。「プロ和裁士」への道は厳しいものです。しかし、女性の職業として将来性、経済性は高く、その技術は生涯の財産でもあります。

 

和裁技能士とは

〜ここよりwikipediaより引用〜

和裁技能士(わさいぎのうし)とは、国家資格である技能検定制度の一種で、都道府県知事(問題作成等は中央職業能力開発協会、試験の実施等は都道府県職業能力開発協会)が実施する、和裁に関する学科及び実技試験に合格した者をいう。 なお職業能力開発促進法により、和裁技能士資格を持っていない者が和裁技能士と称することは禁じられている。

級別

1級、2級、3級の別がある。

実技作業試験内容(和服製作作業)

1級
1. 女物袷(あわせ)長着の縫製は、表地は縮緬または綸子(りんず)の付け下げ(上前に模様合わせのあるもの)であって、両袖、背縫い、わき縫い、下前のおくみ付け等を事前に縫い上げたもの(上前のおくみ付けは試験場で行う)、また、裏地は絹または交織であって、背縫い(並幅)、脇縫い、おくみ付け等を事前に縫い上げたものを持参し、試験場で衿付け、まとめ等を行い、袷長着を仕立てる。
2. 部分縫いは、表地(検印のあるもの)に色地の新モス(綿モスリン)、裏地(検印のあるもの)に白地の新モスを用いて都衿の上前を縫製する。
試験時間=7時間30分

2級
表地は縮緬、羽二重または綸子とし、右袖、おくみ付け等を事前に縫い上げたもの、また、裏地は絹または交織とし、背縫い、おくみ付け等を事前に縫い上げたものを持参し、試験場で衿付け、まとめ等を行い、女物袷長着を仕立てる。
試験時間=6時間30分

3級
表地、芯地は自由(胴裏の付くものは裏地自由)とし、身頃・地衿(下衿)付けをし、右袖を事前に縫い上げたもの(衿先布の付く場合は、事前に衿先布を地衿に付けておく)を持参し、試験場で衿付け、まとめ等を行い、女物の袖無双袷長襦袢、または胴抜長襦袢(胴裏を省いた長襦袢)を仕立てる。
試験時間=3時間30分

 私は、3級試験を受けます。また、試験要項などの詳しい内容は、後日アップ致します。

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ベビー服の作家 堀川波先生の紹介

2014年01月16日 » ブログ

今回ショッピングサイトにて人気商品の作家先生の紹介です。

【堀川 波(ほりかわ・なみ)】
1971年大阪生まれ。
大阪芸術大学グラフィックデザインコース卒業後、
おもちゃメーカーの企画開発を経てフリーに。
現在は雑誌、書籍などで活躍中。
主な著書に「ベィビーちゃん」「わたしはあなたの
こんなところが好き。」(ポプラ社)、
「まいにち、うきうき。和の暦」(朝日新聞出版/刊)
などがある。


きっかけは先生の言葉から絵本作家・堀川波さん
 小学校5年生のころ、当時流行っていたティーン雑誌に描かれていたイラストを、マネて描いていました。それがだんだんクラスの中で評判になって、友達に描いて欲しいと頼まれるようになったんです。やがて先生にも「イラストがうまいね」と褒められるようになり、私は絵がうまいのかなと思いました。この時に初めて、先生からイラストレーターという職業があるんだと聞きました。
 高校進学の時には、友人や、先生の薦めもあって、工芸高校の「図案科」へと進学しました。大学は、大阪芸術大学グラフィックデザインコースへ進学。旅行が大好きで、大学時代にヒッチハイクで北海道まで行ったことがあります。行きたいと思えば、ひとりでも旅行に行きます。だけど、ひとりでご飯を食べには行けないんです

まわりの人に恵まれてこの世界に

独立するきっかけとなった学生時代の作品
 現在の活動は東京中心ですが、これは就職先が東京になったからです。大学卒業後、東京にあるおもちゃメーカーの企画開発部門に入社しました。この会社の会長にはとてもよくしてもらったんです。就職してすぐに、学生時代に応募していた「詩」のコンテストに入賞し、海外旅行が当たりました。就職していきなり休暇も…と考えていたところ、会長が許可をくださり、旅行へ行くことができました。
 ある時、ロフトで販売の仕事をしていた友人が、私が大学の卒展で制作した作品を額装して販売してみたら、思いのほか売れたんです。しかし、副業をすることになりますので、会長に相談したところ許可を得ることができました。
 会社の仕事は、作品作りとはキチンと区別してすすめていました。やがて、たまたまこの作品が出版社の編集者の目にとまり、本にして出版しないかという話になりました。その後、会社を辞めて、絵本の仕事でやっていこうと決めたとき、会長は、君ならどんなことをしてでもやっていけるだろうと、退社して絵本作家の道へいく願いを聞いてくださいました。その後も応援してくださっています。
 2年余りで会社を退職。ここから本格的にフリーの絵本作家としての活動が始まりました。美術系の学校に進んだものの、イラストレーターになることをことさらに目指していたわけではないです。イラストレーターになるために、特別な勉強をしたとかではなく、まわりの人や、運にすごく恵まれていたと思うんです。

関西・大阪について

大阪の人って、楽しい人がたくさんいるから大好きなんです
 結婚後も主人と娘と3人で東京に住んでいます。主人も東京の人ではなく、本当は大阪での生活を考えていたこともあります。「子供を育てるならば、自分も育った大阪で」と。仕事の面では東京が何かと都合がいいのですが、関西での生活も憧れます。
 東京の人と違って、関西、とりわけ大阪の人って、楽しい人がたくさんいるから大好きなんです。ただ、関西は人と違っていることを認めないような気がします。東京に住んで思うのは、東京は多様性を認める風土があると言うことです。男性が家にいてもおかしくないし、職業も様々でそれぞれがそれぞれを認めています。子供にも、選択肢がたくさんあることを教えてあげたいんです。

絵本のイメージや詩は、生活の中から生まれる

堀川さんの仕事場 ペンの数がすごい
 これまでの自分の歩んできたことが作品になっています。もちろん、今現在は恋愛しているわけではないので、恋愛の絵本を描くからと言って、実話を絵本にしているわけではないです。ただ、今まで、大阪を中心として自分が過ごしてきた場所とか、空気みたいなものが作品になっています。「自分が自分らしく、そうありたい」という私自身の思いが、メッセージになっています。だって「自分の人生の主人公は自分だから」。
 意識的に絵本のネタ探しに何かをするわけではなく、時に家族と、時にひとりの自分を楽しんだり、街にぶらっとでかけたりすることが作品に繋がります。毎日生きているということは、当然生活も変化もしているわけでしょ?毎日いろんなことがたくさんあって、生きること自体がもう絵本じゃないですか。

読者の生活と同時進行する絵本の世界

絵本を読んでくださっている方は、私と同世代か少し若い方が多いので、私が生活の中で感じたり、経験したりすることを、読者の方も感じていると思います。絵本の中でそれを表現すれば、共感を得られたり、生活のヒントを感じ取ってもらえたりするのかなと思います。
 

代表著書

http://gofuku.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=1643166&csid=7&sort=n

 

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兎の柄について

2014年01月08日 » ブログ,着物の知識


「兎」の文様について
古今東西を問わず、
愛され、親しまれてきた兎。

日本において、
その兎が着物や帯、調度品などの
意匠のモチーフとして
盛んに用いられるようになったのは、
桃山時代の頃です。

当時、京の豪商として有名だった
角倉了以(すみのくらりょうい)は、
草花の下に兎が座る
「花兎金襴」(かときんらん)と呼ばれる文様を
愛用しました。

角倉了以は、豊臣秀吉の朱印船に加わり、
安南国(ベトナム)との貿易を行って富を得て、
私財を投じ京都の高瀬川を開削した功績が称えられ、
名を残した人物です。
その角倉了以が愛用した「花兎金襴」(かときんらん)は、
のちに「角倉金襴」(すみのくらきんらん)とも呼ばれ、
名物裂の文様となりました
江戸時代のはじめには、
波の上を跳ねる兎の図を意匠化した
「波兎」(なみうさぎ)という文様が大流行しました。

波に兎が跳ねているという不思議な組み合わせは、
琵琶湖から眺める竹生島(ちくぶしま)の
神秘的な美しさを歌い上げた
「竹生島」という謡曲(能)に由来しています。

謡曲「竹生島」の中には、
『月海上に浮かんでハ 
   兎も波を奔(カケ)るか』
(月が湖面に映えて浮かんでいるときは
   月の兎も湖面の波の上を駆け跳ねているのですね)
というとても美しい詩があります。

「波兎」はその詩にあらわされた情景を
簡略して意匠化したもので、
狂言装束の肩衣(かたぎぬ)の文様としても用いられました。

また波に兎とは、月に兎という意味合いをも含むことから、
月の神秘な力をあらわす吉祥文様として
庶民の間にも広まり、人気となりました。

江戸時代中期になると、
兎に植物や人物を組み合わせて意匠化したものが
多くつくられるようになります。
その中でも、兎が好物とする木賊(とくさ)を組み合わせて
意匠化した着物や帯は人気を博しました。

また、しゃがみこんでいる兎の姿を
3方向から捉えて組み合わせた「三つ兎」と呼ばれる文様もつくられました。
日本では古来より数字の「三」は縁起の良いものとされていたので、
こちらも吉祥文様として現在でも多く用いられています。

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